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秀吉の「割普請」

秀吉の「割普請」

 

木下藤吉郎が草履を懐で温めていた。それに感じ入った織田信長は、以後、藤吉郎を取り立てるようになった。これは昔の絵本に書かれてあった懐かしいお話です。

脇田修さんという人は、それは藤吉郎の忠義ぶりを物語っても手柄話ではないとし、藤吉郎の最初の手柄を、次のように述べています。

清洲城の塀が崩れたが、その修理に手間取っていた。それを見て藤吉郎は「用心が悪すぎる」と訴え、「ならばそちがやれ」と命じられた。藤吉郎はわずか一昼夜で完工し、信長を一驚させた。藤吉郎の迅速な工事の秘密はどこにあったか?  それは「割普請」にあったと脇田さんは言います。具体的には、修理する区画を20に分け、20のグループに分担させ、しかも工事の質がよく、かつ迅速なグループには、褒賞金を払うと約束しました。つまり、「競争の原理」を導入したのでした。また、従来、城の工事は普請奉行所の独占事業でしたが、藤吉郎は信長の許しを得て、それを打破しました。

国鉄の民営化に先立つこと、400年近く昔の話です。



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